> マルナゲとは?

2019/04/12 up

「気象を通じて人の役に立てることが喜び」フリー気象予報士・飯沼孝さん

text by 末吉陽子

撮影=栃久保誠

天気や気温、降水確率などを予想する「気象予報士」。名乗るには、合格率約4~5%という超難関の国家試験突破が絶対条件のプロフェッショナルです。

今回インタビューした飯沼孝さんは、キャリア30年以上のベテラン気象予報士。新卒で大手気象会社に入社後、テレビやラジオの気象キャスターとして活躍。現在は、フリーランスとして気象予報の仕事や気象キャスター、気象防災などのセミナー、予報士試験講座の講師など仕事の幅を広げています。気象予報の仕事が好き過ぎる様子を隠さない飯沼さんにお話を聞きました。

“天気の不思議”に魅了された幼少期。自然な流れで気象の世界へ

――まず、気象予報士を志したきっかけから教えてください。

子どもの頃から、なぜだかテレビの天気予報を見るのが好きだったんですよね。「どうして晴れるんだろう? なんで雨が降るんだろう?」と天気の仕組みに興味を持ちました。小学5年生の夏休みの自由研究では、新聞から衛星ひまわりの衛星画像を切り抜いたり、自分の地域の天気を記録したりと天気にまつわるレポートを提出して、県の銀賞を獲得したことも。その頃から漠然と「将来は天気に関わる仕事をしたい」と意識していましたね。

――子どもの頃の想いをそのままに、大学でも気象を研究されたとか。

そうですね。気象を学べる大学を探して、東海大学海洋学部に進学しました。海洋と気象は連動しているので、海洋学部に気象にまつわるゼミがあるケースが多いんです。私も気象庁で天気予報を行う予報官だった方が教授をされているゼミを専攻。エルニーニョ現象や海洋の変動と冷夏の関係などの研究に熱中しましたね。さらに、気象を深く学びたいと思い大学院に進み、気象庁の元長官を務められた教授のもとで学びました。

――就職先はどのようにして選ばれたのでしょうか?

気象関係の仕事をするなら、当時だと気象庁か日本気象協会のほぼ2択でした。大学院時代の教授からは日本気象協会を勧められたのですが、ちょうど外資系企業で、航路予測をしていた方が民間で気象予報会社を創業したという情報が耳に入ったんです。気象予報は人の生活に大きく関わる仕事ですが、その会社の「防災と人命を大事に」という理念に共鳴しました。当時は血気盛んだったので、「この会社を大きくしてやろう」と思い、入社を決めました。

――入社後は気象キャスターとして、テレビにも出演されることになったそうですね。

はい、これはまったくの想定外でしたね(笑)。当時はアナウンサーが天気予報の原稿を読むことが一般的でしたから、入社当初はテレビ局向けに原稿を書く裏方仕事が多かったんです。しかし、折しも天気の専門家がテレビに出るようになり、「お天気キャスター」というカテゴリも登場しはじめた時期。そうした時代の流れもあって、入社から1年ほど経った頃、急に社長から「大阪に行ってテレビに出てほしい」と言われたんです。

――予想外の辞令だったのですね。

引っ込み思案な性格も相まって、自分に務まるのかなと不安でしたね。でも、やってみたらこれが意外と面白かった。これまでは、アナウンサーを介して伝えていた気象情報を、自分の言葉で発信することにやりがいを感じたんです。

軌道に乗るまで清掃や塾講師の仕事も。厳しい船出にもめげず新たな仕事を引き寄せる

――フリーランスを決意されたのは、何かきっかけがあったんですか?

そもそも同じ場所に留まり続けるのが苦手なタイプなんです。会社もかなり成長したので、入社時の「会社を大きくしたい」という想いも果たせたと感じていました。そんなとき、ちょうど大学の先輩から、ケーブルテレビの天気予報や番組制作、出演まで一手に引き受けている会社に誘われて転職しました。

ただ、かれこれ20年近くも仕事をしていると、今度は会社組織自体にやりにくさを感じてきたんですね。「自分がやりたい気象予報の仕事以外に使う時間がもったいない」、そんな気持ちが湧いてきて、5年ほど勤務して独立を決めました。

――開業時に資金は必要でしたか?

開業資金はゼロですね。そもそも気象予報士として仕事をするうえで必要なのは資格試験にかかる1万円程度のお金だけです。でも、資格があっても、企業で気象予報の経験を積まないことにはフリーランスとしてはやっていけません。開業資金は掛からないけど、責任の重い仕事であることは確かですね。

――独立後、やりたい仕事だけできましたか?

そう上手くはいかなかったですね。会社を辞めたときに、先のことは何も準備していなかったこともあり、生活が成り立たなかったので、マンションを売却して都心から引っ越しました。まさに、ゼロからのスタート。とりあえず食いつなぐために、1年くらい清掃の仕事をしたり、家庭教師や塾の講師もしたりしました。ただ、講師の仕事はやりがいがありましたね。大学時代には、教師にもなりたくて進路に悩んだ時期もありましたから、教える仕事に興味がありました。

――順調な滑り出しとはいかずとも、新たな仕事に面白みを見出されたんですね。

そうですね。新しいチャレンジが功を奏してか、知人から小学校で気象にまつわる出前授業のオファーをもらうようになり、気象の知識と人に教えることを同時に叶えることもできました。

――ちなみに、営業をされたことは?

気象予報士受験の講座を資格の学校に売り込みに行きました。人に伝えるスキルはキャスター時代に、教えるノウハウは家庭教師や塾の講師で身に付いていましたので、模擬講座を見てもらったところ「ぜひ、お願いします」と依頼につながりました。でも、その学校では気象予報士の講座自体がまだなく企画からすべて担当。平均3時間睡眠が半年ほど続きました。

大変でしたが、このときの内容が現在も自主開催している講座のベースになっているので、振り返ると頑張って良かったと思いますね。結局、清掃と塾の仕事は辞めて、中学受験専門の家庭教師は続け、あとは出前授業と気象予報士の講座でしばらくの間は稼いでいました。

本当に好きな仕事だから苦にならない。これからは人材育成に注力したい

――現在は、気象予報の仕事もされていますか?

はい。気象協会から業務委託で、港湾を管理している企業や、道路・鉄道関係の企業に対して、ピンポイントの気象を予測する仕事を受けています。予測のもとになる観測データは気象庁が公表している「気象衛星ひまわり」「アメダス」「気象レーダー」で、気象予報士にとって3種の神器ですね。これらのデータや数値予報モデル、専門的な天気図などから細かな情報を読み解いて、誤差を調整しながら局地的なエリアの予測データを作成していきます。顧客のニーズに応じて予測するので神経を使いますが、観測データの読み解き方などは経験がものをいうので、キャリアを重ねるほど予測精度は上がります。

――ちなみに、キャスターの仕事は?

最近は、AbemaTVの情報番組に出演しています。実は最近、気象予報士の中でも、高度な知識を持つと認められた人しか参加できない「気象防災アドバイザー育成研修」を修了して、気象防災アドバイザーとしても活動しています。そのため、AbemaTVの情報番組では、天気予報というより、気象防災アドバイザーとして、荒天時や災害時に注意するべきことや防災の知識について解説しています。

――収入は安定されていますか?

気象予報の仕事含め、講師やキャスター、気象にまつわる記事の執筆など、単発の仕事が多いので、月によって全然違いますね。ある月は高給取りのサラリーマンくらい稼げても、別の月は家賃の支払いも厳しいくらいのときも。ただ、平均すると同世代の会社員よりは多いかなと。

――仕事をするうえで心掛けていることはありますか?

情報収集は怠らないようにしています。気象の世界はテクノロジーの進歩とともに、発展の速度が非常にスピーディーです。なので、気象庁主催の講座や気象防災に関するセミナーには積極的に参加して、最新情報を絶えずアップデートするよう心掛けています。

あと、やはり「本当に楽しいと思える仕事をする」ことを何より大事にしています。フリーランスなのに、楽しくないことを続けていくのは辛いですよね。本当に自分がやりたい、楽しめるものがあってこそ、フリーランスにチャレンジする価値があると思います。

――確かに、収入も不安定ですし、楽しいと思えないと苦行でしかないですよね。

そうですね。現状、ありがたいことに休みがないくらい忙しく、毎日朝から深夜まで仕事をしていますが、あまり疲れは感じません。それって好きだからですよね。好きだから頑張れて、それが評価され、仕事につながるのかなと思います。

もちろん子どもの頃から、天気予報への情熱は変わっていませんが、仕事のモチベーションは人のためになるかどうか。天気によって1日の過ごし方が変わり、ひいては人の生活を大きく左右します。防災の観点では、気象予報は人命にも関わる重大な仕事です。楽しいだけではなく、人の役に立っている仕事だからこそ、やりがいを感じますね。

――では、今後の目標を教えてください。

これからは夢に向かって一生懸命な人を応援する仕事を増やしていきたいです。具体的には、防災に詳しい気象予報士を育成したいと考えています。いま、防災の情報は気象庁が多岐に渡って発信していますが、それをどう活用するべきか分からない自治体の防災担当者も多いです。災害時に、避難勧告や避難指示が遅れて被害が出るということは本来あってはならないので、防災を深く理解している気象予報士を派遣できるようにしたいです。

あと、私のところに、お天気キャスター志望の若者がよく相談に来るのですが、ボランティアでさまざまなところに紹介しています。今後は、その動きを事業として仕組み化したいと考えています。

(取材・文:末吉陽子 編集:ノオト)

取材協力

飯沼孝さん

気象予報士。気象防災アドバイザー。地球温暖化コミュニケーター。

東海大学大学院を修了後、1988年4月に株式会社ウェザーニューズに入社。約15年間、朝日放送やテレビ朝日などのウェザーセンターに勤務し、気象キャスターや予報技術者として従事する。その後、株式会社気象サービスに5年間勤め、2009年3月にフリーの気象予報士として独立。現在は、一般財団法人日本気象協会の予報技術者として、気象予報士試験講座の講師や個別指導、気象環境アドバイザーの講演活動を行う。また、AbemaTVや秋田放送ラジオに気象キャスターとして出演も。

この記事の筆者

末吉陽子

編集者・ライター。1985年、千葉県生まれ。日本大学芸術学部卒。コラムやインタビュー記事の執筆を中心に活動。ジャンルは、社会問題から恋愛、住宅からガイドブックまで多岐にわたる。
▼公式サイト
http://yokosueyoshi.jimdo.com/

ほかの記事を検索する

関連ワード