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2019/03/29 up

「指導者こそ貪欲に学び続けるべき」フリーランス振付師・新垣寿子さん

text by 末吉陽子

撮影=小野奈那子

踊りの構成を考え、ダンサーや歌手に指導するフリーランス振付師の新垣寿子さん。AKB48をはじめ、女性アイドルの振付けをメインに活動しています。

小学生の頃からダンスに打ち込み、ダンスアイドルグループ「SUPER MONKEY’S」の初代メンバーとしてデビュー。その後、一度は芸事から離れるものの、引き寄せられるように振付師としてショービジネスの世界へ返り咲きます。

「いまは人を育てることが喜び」と語る新垣さんに、これまでのキャリアや仕事で大切にしていることを教えてもらいました。

歌手を目指した幼少期。ジャネット・ジャクソンに魅了されダンスにのめり込む

――新垣さんは、安室奈美恵さんやSPEED、DA PUMPなどを輩出、平成のJ-POPシーンを席巻した芸能養成学校「沖縄アクターズスクール」の出身だそうですね。

物心つく前から歌うことが好きでした。私は10人家族で育ったのですが、私が歌うと自然とみんなが集まってくれるんです。家族が喜んでくれることが嬉しくて、歌手になりたいと思うようになり、小学校5年生のときにオーディションを受けて、入学しました。

――沖縄アクターズスクールでは、どのようなレッスンを受けられたのでしょうか?

ちょっと独特なんですが、当時はスクールを開業されたマキノ正幸さんが指導法を考えて、まず年次の高い生徒に伝え、先に習得した生徒が後から入ってくる後輩に歌とダンスを指導していました。なので、最初に小学生から高校生まで30人くらい通っていましたが、年の近い生徒同士が教え合うので部活のような感覚でしたね。週2回ペースのレッスンの他に、3カ月に1回の頻度で定期公演があって、2〜3人でチームをつくり、歌や衣装、振付けも、全部自分たちで好きなようにやっていいんです。

――生徒の自主性に委ねられているというか。真剣じゃないと続かないですね。歌手を志しながらも、ダンスの道に進んだのはなぜでしょうか?

ある日のレッスンでジャネット・ジャクソンの『Rhythm Nation(リズムネイション)』というミュージックビデオを見て、それが衝撃的なかっこよさだったんです。「このステップってどうやっているんだろう」と分析するように。ちなみに、私の3カ月後くらいに奈美恵(安室奈美恵さん)が入学してきたのですが、一緒になってビデオテープが擦り切れるまで研究して、それから自然とダンスにのめり込んでいきましたね。

自宅兼練習場の片隅には、ジャネット・ジャクソンのアルバムが飾られていた

夢と現実とのギャップに打ちのめされた、東京でのデビュー

――そして中学3年生のときに、女性ダンスアイドルグループ「SUPER MONKEY’S」の一員としてデビュー、東京に進出。念願が叶ってどんなお気持ちでしたか?

「デビューすれば売れる」「頑張れば頑張っただけ結果がついてくる」と思っていたのですが、そんなに生やさしい世界ではありませんでした。一緒に上京した奈美恵をはじめ、他のメンバーの仕事が決まると、応援したい気持ちと同時に「私も一生懸命やっているのに、なんで大人は理解してくれないんだろう」という想いもありました。

――努力が報われないと、何を頑張ればいいのかわからなくなるものですよね……。

本当にそうでした。デビューするまでは、人前で歌ったり踊ったりするのが大好きだったのに、急に怖くなってしまって……。ダンスの練習も歩けなくなるくらい頑張っていたのですが、蓄積疲労も重なり、報われない日々に耐えられず、2年で脱退を決断しました。

――それからは、どのように過ごしたのでしょうか?

夢見ていた東京での成功が叶わず、しばらくは自分の方向性を見失っていました。そんなとき、沖縄アクターズスクールから「戻ってきてインストラクターをやらないか」と声を掛けてもらったんです。「沖縄でもう1回頑張ってみよう」と気持ちを奮い立たせました。

――沖縄に戻ってみて、どうでしたか?

やっぱり「自分の居場所がここにはある」と思いましたね。デビューしてからは、「自分はここにいても意味がないんじゃないか」と透明人間になったかのようでしたが、生徒たちに必要とされていることが嬉しかったです。年齢こそ17歳でしたが、キャリアは上から2番目になるので責任も感じました。当時小学生の三浦大知くんや山田優ちゃんなどもいて、貪欲に学ぼうとする子が多かったので教えることが楽しかったです。

――それからしばらくは、沖縄アクターズスクールで仕事を?

はい。20歳までの3年間、インストラクターとしてお世話になりました。すごくやりがいのある仕事でしたが、だからこそどんどん欲が出てきちゃったんです。「この子たちのために、こういうことを取り入れてみたらどうだろう」とアイデアが湧いてきたのですが、その頃スクールの知名度も上がっていて、「全国から生徒が集まっているから、変える必要はない」と言われてしまい……。結局、毎日同じレッスンの繰り返しだったので、「このままここにいても成長できないかもしれない」「私じゃなくてもいいのでは」と思い、また東京に飛び出しました。

――上京後は、何をされていたのでしょうか?

アメリカでダンスを勉強したいという目標がずっとあって、まずはお金を貯めることにしました。朝はカフェでアルバイト、午後はダンスの練習、夜はファミリーレストランでアルバイトという生活でしたね。2年経ってようやくチケットを買いました。

――ついに念願のアメリカへ!

……と私も意気揚々だったですが、フライトの1週間前にアメリカ同時多発テロ事件が発生したんです。母から「心配で夜も眠れないから、もう少し落ち着いてからにして」と懇願され、思いとどまりました。

――何というタイミングでしょうか……。

あまりの出来事に、すぐ渡米しようとは思えず。変わらず東京でアルバイトをしながらダンスを続けていたのですが、しばらくして結婚。それまで、アメリカでダンスを学ぶことだけが目標だったのですが、好きな人ができて「もういいかな」と。結婚を機にダンスは思い切って辞めました。子どもも生まれたので、しばらくは専業主婦として家庭に集中することにしました。

――振付師としてダンスの世界に戻ったのは、どんなきっかけだったのでしょうか?

30歳くらいのときに、ママ友から「ダンサーだったらしいね。児童館のママ友のサークルのワークショップでリトミック(※)を教えてくれない?」と言われたことがきっかけですね。

※ スイスの音楽家・エミール・ジャック・ダルクローズが提唱した音楽教育理論の一つ。

――それはまた全然違うジャンルですね。

まず、リトミックって言葉すら知らなかったですからね。でも、せっかくだからやってみようかなと試行錯誤しながら振りを考えました。実際教えてみると、「こうやったら子どもが喜ぶんだな」とか、これまでとはガラッと違う視点でダンスの魅力を捉えるようになりました。そこから火がついてしまい、自分でサークルを立ち上げ、親子のダンスリトミックやキッズダンス、歌のクラスなどを提供するスクールを約5年かけてつくりました。いまは後輩に運営を譲っています。

振付師として再び芸能の世界へ。振付けの単価は1曲ごとに20万円~50万円

――思いがけないリスタートではあったものの、ダンスの魅力を再発見されたのですね。女性アイドルグループへの振付けや指導は、いつ頃から始めたのでしょうか?

スクールを始めてしばらく経ったころ、沖縄アクターズスクールで一緒にインストラクターをしていた振付師の牧野アンナさんから「AKB48の振付けを担当することになったから手伝ってほしい」と言われたんです。

――リトミックほどではないにしても、アイドルのダンスとなると一から勉強しないといけないことも多かったのでは?

そうですね。 なので、AKB48の歴代ミュージックビデオに目を通して、アイドルのダンスに必要な要素を研究しました。

――ちなみに、振付けって何から着手するのでしょう?

まず曲を聴いて、歌詞を読んで、グループの人数を踏まえて全体の構成を作ります。内容が固まったら立ち位置表を準備、振付けにあたっては、タイトルも意識しますね。たとえば、牧野さんと一緒に振付けをつくった『ヘビーローテーション』は、タイトルが歌詞にも登場するので、その部分は特に観客の印象に残る振りにしようと考えました。あとはサビがメインになってくるので、サビの部分から構成していくケースが多いですね。

――曲ごとのギャラは決まってるんですか?

タレント事務所によってピンキリですね。同じ値段で見積もっても、「こんな値段でやってもらってすみません」というところもあれば、「ちょっと予算が足りないので厳しいです」というケースもあります。ちなみに私の場合、はじめての振付けは5万円でした。キャリアを積んで、30代になると1曲20万円くらい、40代だと30万円から50万円が相場かもしれません。ちなみに、海外で活躍している有名な振付師は、1曲100万円を超えると聞いたことがあります。やはりキャリアと経験によって、差が出ると思います。

新垣さんが手書きで書いた立ち位置表。「ダンスの設計図」とも言える大切なもので、アイドルグループの中で引き継がれていくのだそう

――いまはどれくらいのペースで振付けの依頼がありますか?

30代は、月に2~3曲と振り付けることもありましたが、40代からは振付けよりもアイドルに歌やダンスを教える指導者にシフトチェンジしています。 正直なところ、振付けのアイデアが湧き出てくる感覚が減ってしまったなと思っています。以前ほど振付けにワクワクしなくなってしまったんですよね。

――それはつらいですね……。

30代後半で引退も考えたんですけど。いま、「歌も踊りも教えられる指導者」枠があいているんですよね。歌いながら踊ろうとすると、呼吸や身体の動かし方が違ってくるので、しっかり教えたいと思っています。そこについても、沖縄アクターズスクールでインストラクターとしていろいろ教えていた経験が活きていると感じます。

歌とダンスの技術を惜しみなく与え続けるために、自分の成長を諦めない

――オンリーワンのスキルで仕事を切り拓かれていて、すごくかっこいいです。他に依頼主から選ばれるために、どのようなことを心掛けていますか?

やはり目の前の案件に全力投球することですね。というのも振付師は実績がすべて。手掛けた振付けが評価されてはじめて、次も誘ってくれます。あとは、自分ができることを惜しまないこと。私が歌と踊りの指導にシフトしようと思えたのも、振付けをしている中で「そこの歌い方はこうするといいよ」と教えていたところ、指導していた子たちのパフォーマンスが良くなってきて、「育成も任せたい」と言っていただけたことがきっかけでした。

――実績を残し続けるための「仕事におけるマイルール」を教えていただけますか?

私は指導者こそ一番勉強すべきだと思っているので、海外に行ってダンスレッスンを見学したり、ミュージカルを観たりしています。あと、私自身も3年ほど前からジャズシンガーとして歌手活動をはじめたのですが、それも、また歌をちゃんと一から勉強したいと思ったから。ずっと裏方だったので、表に立つ人の気持ちを理解したいと思い、ライブを開催してみると「人前に立つってこんなに緊張するんだ」とあらためて実感。指導に役立てたいと思いました。あとは、発声に関わるので英会話にも通うようになりました。

――子どもの頃に思い描いていた夢とは違っても、いまの仕事を話されている新垣さんはとても生き生きされているように感じます。

そうですね。すごく充実しています。挫折もありましたが、振り返ると自然といまにつながる道だったんだなと感じます。「この子の指導もお願いしたい」と言っていただけることが喜びですね。だからこそ、常に自分が変化して自分の成長を感じていたいんです。基本、惜しみなく与え続けていく指導者になりたいので、そのために吸収できるものはすべて吸収したいですね。

(取材・文:末吉陽子 編集:ノオト)

 

取材協力

新垣寿子さん

タレント育成講師、振付師、アーティスト。沖縄出身、2児の母。15歳の時に「SUPER MONKEY'S」として歌手デビュー。現在は全国のタレント事務所や専門学校などで次世代の指導に力を注いでいる。
https://www.hisakoarakaki.com/

この記事の筆者

末吉陽子

編集者・ライター。1985年、千葉県生まれ。日本大学芸術学部卒。コラムやインタビュー記事の執筆を中心に活動。ジャンルは、社会問題から恋愛、住宅からガイドブックまで多岐にわたる。
▼公式サイト
http://yokosueyoshi.jimdo.com/

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