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2018/11/02 up

大手外食チェーン勤務の経験を生かして、定年後に自宅で開講! 包丁研ぎ講師・豊住久さん

text by 関紋加

撮影=栃久保誠

おいしい料理を作るために必要なもの。新鮮な食材や頼りになる調味料はもちろん、調理器具の質も重要です。なかでも包丁は、切れ味の違いひとつで、食感や味に大きく影響するのだとか。素材のおいしさを損なわないためにも、日ごろのメンテナンスを大切にしたいものです。

豊住久さんは、大手外食チェーンを定年退職後、自宅で開催する包丁研ぎの講師として活躍しています。開業までの経緯や、新たなキャリアに挑戦する楽しさなどを伺いました。

27歳でのリストラがきっかけで飛び込んだ、外食産業の世界

――定年まで大手外食チェーンに勤めていたとのことですが、外食業界一筋だったのでしょうか? どのようなキャリアを歩んできたのか教えてください。

工業高校を卒業して、まずは空調衛生設備の現場監督として働きました。建物の冷暖房やボイラーなどを施工管理する仕事ですね。図面を書いたり職人を手配したり、現場の進行を管理したりしていたんですが、27歳でリストラされちゃったんですよ。オイルショックで新しいビルが建たなくなり、必然的に仕事も減っていって。

――働き盛りでまさかのリストラ……。どんな気持ちでしたか?

当時は「転職しやすいだろう」と、若い人からリストラされる時代でした。自分もすぐに新しい仕事が見つかると思っていましたね。けれど、そもそも業界全体の勢いがなくなっているから、全然うまくいかなくて(笑)。

――厳しい現実を突きつけられたんですね。それからどうしたのでしょうか?

自分が一番弱いと感じていた電気系統の技術を学ぶために、職業訓練所に行きました。そこで、今までの経験を生かして次のところに行くのか、それとも新たなことに一からチャレンジするのか考えましたね。

私は下水道施工業者の息子として生まれ育ったから、職人の世界は嫌いじゃないけど、世の中のお金の流れが厳しくなると、真っ先にシワ寄せがくるのがやっぱり辛いなと。

そこで興味を持ったのは、外食業界。カラーで求人広告を出していたから景気がいいんだろうと思ったし、厨房に入ったらとりあえず食いっぱぐれることはなさそうじゃない(笑)。

――新しい職場では、どんな仕事内容でしたか?

てっきり厨房に立つと思ったら、店舗設備をメンテナンスすることになって、結果としてこれまでの経験を生かせました。今じゃ370店舗以上あるブランドだけど、当時はまだ20店舗ほどしかなくて、どんどん店舗を拡大していたから毎日本当に忙しかったなぁ。

そのときに、厨房内の調理器具もメンテナンスしました。例えば、業務用まな板は消耗スピードが激しいから、「包丁が当たって削れやすい真ん中を高くしてくれ」と、職人さんに指示するとか。でも、包丁はこれといった手入れをせず、単に気になっているだけでした。

とんかつの衣がなぜか剥がれる? 原因は切れない包丁だった

――なるほど、豊住さんが包丁とつながるきっかけですね。本格的に包丁と向き合うのはいつ頃でしょうか?

勤務17年目にして突然、50店舗を統括する千葉県の営業責任者になりました。そこで、一気に人生が変わったんです。

――どう変わりましたか?

お客さんの声を聞いたら「いつもとんかつの衣が割れている」と言われて。商品に問題があると思って調べたのだけど、一向に解決しないから、行きつけのとんかつ店で店主に相談しました。そうしたら、「切れない包丁を使っているんじゃないの?」 と意外な一言が。すぐに包丁の切れ味を試したら、確かに切れない。だから、現場の人に包丁を研ぐよう依頼したら、研ぎ方を知らなくて。そりゃないよ~と思いました。

上司に相談したら、「すぐ辞めてしまうかもしれないアルバイトに技術を教えるのは無駄だから、3カ月で新しい包丁と交換すればいい」「そもそもカット野菜を仕入れたほうが早い」と言われて。さらには「自分ができないことを人に言うな」とも……。あまりに頭にきて、まず私が包丁研ぎの勉強をしました。

――どのように学んだのですか?

最初はまな板を手入れしてくれる職人に聞いたけど、「こんな感じですよ~」とさらっと見せる程度で、どんな手順なのか丁寧には教えてくれない。まぁそうですよね、こちらはいつもスーツだから。そんな身なりの人は、どうせやらないだろうと思われていたかもしれません。

次に、浅草橋にある刃物教室について調べたら、受講料に50万円もかかると言われてしまった。さすがに払えないから、合羽橋に足を運んで、専門店にいる店員の方の手つきを見て学びました。

それから砥石を買い、休みを返上して担当店舗の店長に教えるように。店長たちには「こんなことやる必要あるのか?」と言われたこともあったけど、1年で500人くらいにはレクチャーしましたね。

――すごい熱意ですね。

お客さんの声もそうだけど、パートとして働く主婦の方から「包丁が切れない。店長もできないから、私が家に持ち帰って研いでいるのよ」と言われたら、見て見ぬふりはできないですよね。その後異動があって教えることはなくなったけど、包丁の切れ味が悪いのは飲食店だけでなく、どこの家庭でもありがちな話だなという気持ちが残りました。

――包丁研ぎの指導を、定年退職後に再開したきっかけは?

しばらくはゆっくりしていたけど、お金を稼ぐ緊張感がなくなったことがすごくむなしくなって。そんなとき、学びたい人と教えたい人をつなぐ「ストアカ」というウェブサービスを知り、包丁研ぎなら教えられるかもしれないと思って、登録したんです。周囲の人からは「刃物を使うから危険だ」とか賛否両論あったけど、勢いで始めちゃいました(笑)。

受講料を値上げしたら、人が集まり始めた

――包丁研ぎ講座はどんな内容ですか?

説明と手本を見せるのに40分、実習に60分かけ、最後に振り返りを10分行う、約2時間の講座です。技術だけでなく知識も伝えたいから、オリジナルテキストや包丁の刃先を再現した模型も作りました。やっぱり原理原則を覚えないと、家庭で再現できないので。こういうのはサラリーマン時代の経験が生きていますね。

あとは、食中毒の話もします。消毒のつもりで熱湯をかけると刃が曲がるからダメですよとか。外食業界にいた経験として、プラスアルファの知識を伝えられるのが、自分ならではの強みだと思います。

▲発砲スチロールで作ったという包丁の面を再現した手作り模型

――講座を行う上でのこだわりや工夫はありますか?

自分の包丁を持ってきてもらうことくらいでしょうか。研ぎ方を教えるだけでは、ただの体験で終わり、感動にはなりません。切れ味の悪いマイ包丁が、2時間後には切れるようになっていることにこそ、感動や価値があるはず。なので、こちらが用意したものを研いでもらってもダメなんだと思います。

――開業にあたり、費用はどのくらいかかったのでしょうか?

準備したのは、20本ほどそろえた研石くらい。それ以外の備品を含めても、20万円しなかったかな。とりあえずの目標は「赤字にしないこと」でしたね。

受講料はまず1,000円に設定しました。でも、全然人が来ない。開業当初は自宅ではなく、場所を外に借りていたから、いきなりマイナスで。ニーズがないと思っていたら「安すぎて怖い。何かを買わされるのかと不安」という意見をもらったので、すぐにお客さんが不安に思う要素を取り除くような説明を教室説明の概要に加えましたね。

そして、少しずつ改善を重ねつつ、受講料を3,500円にしたら、人が集まるようになりました。

――その価格設定ですと、どのくらいの収入になるのでしょうか?

現在、猛暑と花粉症の時期は妻とともにマレーシアで過ごしています。講座を開くのは、日本にいる春と秋に、毎週金曜と土曜に2コマずつ。1コマ最大4名までと決めていて、だいたい月15万円程度の売上です。お金をいただいている以上、参加費や時間含めて、お客さんがトータルで納得いく内容を心がけていますね。

日本の台所から切れない包丁をなくしたい

――現在の仕事のやりがいは、どんなところにありますか?

最初はみんな緊張しているけど、自分で包丁を研いで、スパッと食材が切れたときの笑顔が見えるとうれしいですね。講座が終わるときに「早く帰って料理したい」「家にあるほかの包丁も研ぎたい」と思ってもらえたらいいな、という気持ちでやっています。周りの人にクチコミやSNSでシェアしてくれるのも、ありがたいですよね。

――今後どうしていきたいですか? 展望を聞かせてください。

日本には素晴らしい技術で作られた包丁がいっぱいあるのに、その手入れを教える場所や人は少ないと感じています。せっかく良い包丁を持っていても、扱い方を知らないのはもったいない。私が教えているのは、あくまで家庭で実践できるレベルの話です。

プロに包丁研ぎをお願いするのも悪くないけど、技術だからピンキリの仕上がりだし、時間もお金もかかるとなるとストレスになるかもしれません。家庭なら2~3週間に一度、5分研げば十分です。そういうことを伝えたいですね。

日本の台所から、切れない包丁がなくなったらって思います。でも、ひとりじゃできないから、後継者が見つかるとうれしいかな。若手が来ない業界は続かないから、モデルケースとして見せることができれば。

――同じようにチャレンジしたい人に、アドバイスをお願いします。

定年退職してから思うのが、理屈は言えるけど、自分じゃ何もできない評論家みたいな人にはなりたくないってこと(笑)。あの人といると楽しいよねって人は集まってくるんだよね。それって個人事業主やフリーランスで何かしたいという人にとっても大切なことじゃないかな。

(取材・文:関紋加/ノオト 編集:ノオト)

取材協力

豊住久さん

大手外食チェーンで、設備管理や営業を経験。定年退職後の現在は、日本とマレーシアを行き来するライフスタイルを楽しみつつ、包丁研ぎ講師として自宅で講座を開いている。趣味はゴルフ。

豊住さんの包丁研ぎ講座お申し込みページ:https://www.street-academy.com/myclass/908

この記事の筆者

関紋加

有限会社ノオト所属の編集者、ライター。ヨガウエアやオーガニックコスメの販売経験から、好きな分野は料理、美容、健康、ライフスタイルなど、毎日の暮らしにまつわるなにげないこと。現在は、企業のオウンドメディアを中心に活動中。趣味は、食べ歩きとミュージアム巡り。

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