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2017/05/01 up

プロ野球選手からイタリアンシェフへ、水尾嘉孝さんの収支はどう変わった?

text by 横山由希路

ジョカトーレの前に立つ水尾さん

撮影=栃久保誠

プロ野球界といえば華やかに映る世界ですが、週に6日も試合がある選手生活は過酷を極め、毎年多くの新人選手が入る代わりにケガや契約終了で消えていく選手も少なくありません。その中で30代後半まで現役を続行できる選手は、ほんの一握りです。

引退後、野球の世界に残れる人は、さらにほんの一握り。多くの選手は別の職種に就くことになります。一芸に秀でた彼らは、その後の人生で、どんな転身をはかるのでしょうか?

今回お話を伺ったのは、横浜大洋ホエールズに入団後、オリックス・ブルーウェーブなどで活躍した元プロ野球選手の水尾嘉孝さん。現在、料理人の道をストイックに歩み続ける彼は、どのようにしてレストランをオープンしたのでしょうか? 気になるお金周りについても詳しく話を聞きました。

プロ野球時代のケガが教えてくれた食の大切さ

――まず、水尾さんがシェフになろうと思ったきっかけについて教えてください。

僕はプロ野球選手として横浜大洋ホエールズに入団したときから腰がとても悪くて、痛みのない状態でマウンドに立つことができませんでした。オリックスに移籍したときに腰を手術したところ、奇跡的に痛みがなくなって。そこで初めて、健康な体で野球ができるありがたみを知ったんです。それからは体をベストな状態に維持するために、体に良い物だけを食べる習慣をつけました。

それと西武ライオンズの後、アメリカに渡ってプレーを続けた経験も大きいかもしれません。アメリカの食材が本当においしくなくて……。サラダはパッサパサで、かかっているのは味の濃いドレッシング。日本の食材のおいしさを思い知らされました。

プロ野球選手時代を振り返る水尾さん

アメリカでプレー後に引退するわけですが、引退直後は、やっぱり寂しかったです。そのときに、僕にとって仕事とは何かと考えたら、70歳、80歳になってもいつまでもやり続けたいことだったんですよね。野球と同様、この先の人生も技術を身に付ければ何とかやっていける。自分の興味と実益を兼ねて、技術が残るもの……と考えて、料理を作ることにしました。

――なぜイタリアンだったのですか? 水尾さんのお話を聞いていると、和食の道に進みそうですが。

本当は和食をやりたかったのですが、僕にはゆっくり修行する時間がありませんでした。すでに38歳になっていましたし、和食の店に入って10代の子と同じスタートだと時間がいくらあっても足りません。ですので、日本の食材を使った創作料理に近いイタリアンを作ることにしました。もともと僕はチーズやパスタが大好きでしたので。

水尾さんの手元

38歳でシェフの道に。もう若くはないし、時間がない

――2004年にMLBにメジャー契約で渡米して、2006年1月に引退されました。3カ月後の4月には、大阪の飲食店でアルバイトを始めたそうですね。

心斎橋にある老舗洋食店です。時給800円で、皿洗いのアルバイトを始めました。アメリカで最後にプレーをしたアーカンソー・トラベラーズでは年俸3,000万円台でしたから、時給800円と聞くと、落差はありますね。

でも、1年間は下積みの期間と決めていましたから、特になんとも思いませんでした。朝から夕方までひたすら皿洗いをして、夜は辻調理師専門学校に行く毎日です。家は寝に帰るだけなので、学校とアルバイト先の間にある小さいワンルームを借りて、まるで学生さんのような生活をしていましたね。

――その後、イタリアンの店で修行をされたのですか?

調理師学校の紹介で、日本の食材を使うイタリア仕込みの日本人シェフのもとで3年間働きました。こちらのシェフに感謝しているのは、雑用一つとっても、なぜ今この作業をするのかを一から教えていただけたことと、「ウチの店でのこの作業はイタリアならばこうするし、日本のよその店だとああするからね」と、ケース・バイ・ケースに落とし込んで教えてくださったことです。最終的には、僕が店で使わない食材で作ったまかない料理を、常連さんへのスペシャルメニューにしてくださったこともありました。

開業資金の話をする水尾さん

開店資金はプロ野球ニュースでよく見る、アノお金から

――開店資金はどうされたのですか?

僕がプロ野球界に入ったときの契約金を元手にしました。いただいた1億円から税金などをもろもろ差し引いて、手元に残った契約金は4,000万円。

最初はこのお金を元手にしようと思っていたのですが、周りでよくしていただいている経営者の方々から、自己資金はできるだけ使わないようにとアドバイスを受けました。開店資金は、とにかく借りられるところから借りた方がいいと。

上を見上げる水尾さん

――それはなぜでしょう?

極力、金利は払わないに越したことはないのですが、いざ2号店を作る、店を改築するとなれば、自己資金だけではまかなえず、どこかしらお金を借りる必要が出てきますよね。その際に、銀行も今まで借りたことのない店からお金を貸してくださいと言われるより、最初から借りておいて毎月きちんと返す店なら貸してくれやすいんです。

銀行のほかに、僕は目黒区の融資も受けました。初出店なので、最初は援助が入り、金利もすごく低く設定されていましたね。自己資金である契約金はなるべく残して、借入金を入れてトータル4,000万円を開店資金としました。一番お金がかかったのは、店の設備投資でした。

――イタリアンの激戦区で家賃も高い自由が丘に、なぜ出店したのですか?

開業した2010年当時は、100年に一度の不況といわれていて、飲食店が軒並みつぶれていました。恵比寿で物件を探していたのですが、初出店の僕には信用がなく、きちんとお店のプレゼンをしても大家さんが取り合ってくれませんでした。そこでエリアを少し広げて探したら、初出店でも話を聞いてくださるところがあったのです。それが、この自由が丘の店でした。

開店当時の話をする水尾さん

無事、開店! でも、あちこちから問題が噴出……

――ご自身念願のレストランがオープンしました。

2010年8月に「ケチャップ」という名前で、今と同じ場所にオープンしました。アメリカで野球をしていたときに、「ケチャップ」というチェーン店のレストランがありまして、一度聞いたら忘れられない名前なので、自分の店にもつけてしまいました。僕は本格的なイタリアンを出していましたが、ケチャップ料理の店と勘違いされたお客さまもいらっしゃいました。

店の名前だけでなく、内装にも問題がありました。インテリアの工程で、設計やコンサルタントの方に疑問があったのですが、「ここはプロに任せた方が……」と僕が遠慮をしてしまいました。すると、壁も床も真っ白で、どこからどう見てもカフェのようなしつらえになってしまい、知り合いの経営者の方からは「この店は良くも悪くも水尾商店なのだから、独断でちゃんと決めないとダメ」と、散々怒られました。僕の料理の方向性と、店の雰囲気がまったく合っていなかったのです。オープンして2カ月後には、改装しようと決めました。

水尾さん

――オープンして2カ月で改装を決めたのですか? 改装資金はどれくらいかかったのですか?

一度、店をなくすことも考えましたが、開店して2カ月で自由が丘のお客さまの流れも多少見えてきまして、これは改装で済むかもしれないと考えるようになりました。

僕の都合で店を変えるので、第三者機関に話を持っていって、そこで融資の許可が出たら改装しよう。もしダメだったら店を畳むか、もう一度考え直そうと思っていました。なんとか金融公庫から500万円の融資が出て、2011年4月に4日間だけ店を閉めて、壁と床の張り替えとガス管の位置変更、カウンター席をなくす改装をしました。

――お店の名前も変えられましたよね?

周りの方から、人が聞いて納得する名前じゃないとお店は続かないよと言われまして、イタリア語で“選手”を意味する「ジョカトーレ」にしました。トラットリアはカジュアルなレストラン、ジョカトーレは選手なので、イタリア語だと“選手食堂”なんですよね。冷静に考えたら「そんな店、あるわけないだろ!」と、いろんな人から突っ込まれましたが、意外と気に入っています。

調理をする水尾さん

「今日はおいしいものを食べに来たの!」と言っていただけるお客さまを増やしたい

――「ジョカトーレ」オープンから2017年4月で7年目となります。お店が軌道に乗ったと感じたときはいつですか?

よく飲食店業界で、3年経つとお店の名前を覚えてもらって、5年経つと常連さんで店が回るようになると聞きますが、僕は5年経っても軌道に乗ったと感じられなかったですね。ただ常連さんが来てくださるようになったのは、たしかに5年過ぎてからでした。

以前、僕がイタリアン・レストランを経営したいと話したとき、知り合いにこう言われたんです。「焼鳥屋さんだったら2週に一度行く可能性があるから、ある程度の顧客の数でお店が回り始める。でもレストランは半年か1年に1回ぐらいしか行く頻度がないから、顧客を作るのに焼鳥屋の何倍かかるか計算してごらん? 店の名前が浸透するだけの宣伝が先に打てるのか、店を維持し続けるために時間を費やせるのか」と。そう聞いたときに、とにかく店を細々と続けようと思いましたね。

――安心できる1日の売り上げはどれくらいですか?

1日に10万円を基準としています。ただし、1日にお客さまが何回転もする店ではないので、10万円を売るためには、「今日は『ジョカトーレ』にしっかりご飯を食べに来たの。だからおいしいものをいっぱい出してね」と思ってくださるお客さまを増やさなくてはいけません。そういうお客さまは、前菜からメイン、パスタとたくさん食べていただけるのですが、初めていらしたお客さまは前菜、パスタで終了してしまうので、そうなると客単価はなかなか上がっていかないですよね。

今は健康志向で、お酒も皆さん飲まれませんから、客単価が思ったよりも上がっていかないのが悩みですね。

今後の抱負を語る水尾さん

――客単価をどうやって上げていくかのお話もありましたが、今後の課題を教えてください。

お客さまの方から「このお店、ついつい頼んでしまうのよね」と思っていただけたら、それはすごくうれしいですよね。このお店には楽しい食事の時間を過ごす価値があると、お客さまから認めていただいて初めて客単価は上がるのでないでしょうか。

そのためには、まずこういう店があることを皆様に知っていただく。お客さまから信頼していただくには、手堅い言い方になりますが、店を続けることです。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、やはりそれしかないと思います。

(横山由希路+ノオト)

取材協力

水尾さん

水尾嘉孝さん

1968年、香川県生まれ。1991年に横浜大洋ホエールズにドラフト1位で入団。その後、オリックス・ブルーウェーブ、西武ライオンズにてセットアッパーとして活躍する。2004年にMLBに挑戦し、2006年アナハイム・エンゼルス傘下のアーカンソー・トラベラーズにて現役引退。現在は、自由が丘のイタリアン・レストラン「トラットリア ジョカトーレ」のオーナーシェフを務める。
▼トラットリア ジョカトーレ
http://gioca.jp/

この記事の筆者

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横山由希路

ライター・編集者。神奈川県生まれ。東京女子大学現代文化学部卒業。エンタメ系情報誌の編集を経て、フリーに。コラム、インタビュー原稿を中心に活動。ジャンルは、野球、介護、演劇、台湾など多岐にわたる。
Twitter ID:@yukijinsky
Facebook:https://www.facebook.com/yukiji.yokoyama

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